
少し前に書いた、今は亡き少女が言った。
「小鳥がね、窓のふちに止まるの。小鳥とね会えると、まだ大丈夫だな。って思うんだ。」
そう。それは、彼女の生きる上での自分なりの「基準」だったんだと思う。きっと。
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意識していようが、無意識だろうが、皆それぞれが持つ自分の基準。
それの「意味」も、人それぞれ違う。
例え、お互いに真似てみたとしても、感じる世界は同じじゃない。
それが最高でなくても、たった一つの小さな思いが、全てを変えることになるかもしれない。
周りと一緒じゃなくてもいい。
周りと一緒だってそれもいい。
自分の基準がそこにあるなら。
私は、今、周りの反対を押し切って、とても短い時間だけどバイトをしていることは、
以前にも書いたけど、それは決して、自暴自棄になったりとか、すべてを投げ出したわけじゃない。
そして、周りのみんなのことを無視しているわけでは、決してない。
自分は、そうすることで「生きられる」
例え1時間であっても、働きたい。
少しでも、社会の中に入りたい。
そして、できることなら、何か役に立ちたい。
もちろん身体も大事。すごく大事。身体がなきゃ、何にもできない。
それは、ものすごく心の奥底から、この身体を通して、よく分かってる。
でも、その身体が自分に問いかけてくる。「どうする? まだ動けるよ。私。」と。
今、いろいろなことを感じてる。
普通でいられることがどれだけ素晴らしいのか。
ありきたりな景色であっても、そこには輝くモノがたくさんあることを。
あなたの基準は一体どんなだろう?
それがなんであったとしても、
自分を見失いそうになっても、
あなたはあなたに変わりない。
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このぶろぐ。も、私の中で「書きたい。」という気持ちが、
自分自身とぶろぐ。に向き合わせてくれる。
ネット上でありながらも、そこに自分を見ているかのように。
写真も、カメラを常に持っていながら、撮影するのは非常に少ない。
それは、ぶろぐ。の書きたい内容とシンクロしているから。
そして、カメラと対話を重ねながら、一瞬をここに収める。
基準。
それがあることで、人が生き生きと、
今のこの瞬間を過ごせることができると感じてる。
あらためて、ぶろぐ。を見てくれている人に伝えたい。
どうもありがとう。




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